文化財の保存/修復 絵画・書跡分野における国宝・重要文化財等の保存修理(京都市)
株式会社岡墨光堂
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2020年5月号:第1回 裂の復元の始まり(1)

岡 興造(談)

墨光堂に私が入ったのは、昭和40年春です。まだ徒弟制度の残った職場で、現在とは事業規模が異なり、文化財予算も少なく、また職業意識も文化財修理が主流をなしていませんでした。糊炊きや先輩の手伝い、下仕事など基本的な作業を身に付けるかたわら、表具師として重要な表装裂の知識が得られるように、裂作りの基本となる作業を始めました。これからお話する昭和40年代の経験は、いろいろな条件が整ったなかで本物から学ぶことができた貴重な機会でした。ただ、まだ仕事のことがよくわからないうちに夢中で取り組んだことであり、自分で裂のことが理解できるようになったのは、40歳以降であったように思います。

私が最初に関わった金襴の復元は、国宝《大燈国師墨蹟 関山字号》(妙心寺蔵)の中廻しの裂地・紫地大牡丹文金襴でした。通常、国指定文化財の修理では本紙の修理が主です。「関山号」の場合は、中廻しの金襴の損傷が多く、紫地の地組織の部分の劣化が進行し、再使用が難しい状態でした。そのため、本紙の修理に加え、この中廻しの裂を復元して付け替え、原本は別に保存するという方針が立てられました。

一般的に裂地の復元は、原本の写真や名物裂の本などを見て文様の形をなぞることから始めます。「関山号」の金襴の復元時には、現物(本手)を参照することができ、糸の太さや糸目、金糸の巾、また織組織などを仔細に見ることができました。二代目岩太郎は裂に対する思い入れが強く、復元は織組織や糸目まで再現するプロジェクトとなりました。墨光堂として、織りと染め以外のことをできるだけ行い、織に関しては廣信織物の廣瀬敏雄氏の協力を得ました。作業は廣瀬さんに文図の作り方を教わるところから始まりました。まず、4×5フィルムで実物大の写真を撮影し、糸目が見えるサイズに拡大プリントします。それを資料とし、糸目に沿ってひとつの大牡丹の文様の周りを数百箇所数えるような作業で、図に起こします。若かった私も糸目をひとつずつ読んで、文図のグラフ用紙に書き入れる作業をしました。目が疲れてなかなか進まず大変だったことを思い出します。この糸目を拾う作業のみで3~4ヶ月間に及ぶ、時間のかかる作業になりました。専門の知識を持つ廣瀬氏の指導があってこそできたことだと思っています。

この、裂地の文様の一文様分を見極めて、写真から糸一本ずつ数える作業をしている時に、金糸を押さえる「搦み糸」(1)の存在を初めて知ることができました。織組織の経糸を数えているときに、金糸を押さえる糸も数に入れていたことがあり、廣瀬氏からこれは「搦み糸」だと教えてもらったのです。「関山号」の紫地大牡丹文金襴の地色の部分の下部は、金糸と別搦み糸で織られた部分とで二重織になる袋織です。紫の地の糸の綾地が弱ってしまっていて袋地上部が欠失し、下部の金色の織りの部分が見える部分もありました(2)。別搦みの袋織の場合、地の部分が二重になるので、文様を包み込むようなやわらかさが生まれます。このやわらかな立体感が、明代の牡丹唐草文の金襴の特徴です。

さて、実際に織る段階になれば、通常は織屋さんにまかせ、既存の機(はた)に合わせて文様をはめこみます。そうすると糸数が合わず、文様が少し変わります。しかし、この「関山号」の金襴復元事業の際には、経糸に合わせた本数の機(はた)を特別に新たに作りました。これによって、文様の型だけではなく、織組織も完全に復元することができたのです。この明代の裂地を地の織りを含めて復元したことによって、裂の厚み、風合いを復元することができました。その頃織られていた裂地には、文様の形はよく似ていても袋織にせず、地の部分と表に見えている金糸の文様部分が一体化して、裂地の柔らかさや量感、風合がない平坦な裂がよく見られました。まだ若かった私は、この復元にかかる予算がどうであったかは考えていませんでしたが、機(はた)の代金が大変だったそうです。

もうひとつ、難しかったのは金糸です。当時も現在も同じく、雁皮紙の上に漆で金箔が押された金糸では仕上がりが平坦で光沢があり、古金襴のような柔らかさがあるようには見えませんでした。明代の箔紙を観察すると平坦ではなく、かつ紙の上に絵具(朱)があるように見えました。明治時代末から金糸を工夫して作られたのが砂子箔(3)ですが、古金襴の箔とは異なることがあります。古金襴の柔らかさに近づけるため、雁皮よりも楮紙がいいのではないかと思って、専用に漉いた楮紙で金糸を作ってみましたが、金糸の紙の厚みが増して、金糸が経糸にひっかかるなど、使用することができませんでした。近年になって中国・明代の古金襴の金糸の紙の分析が進むと、実際には楮だけではなく表面は竹紙で、これに薄い楮紙で裏打ちをした紙に丹色など赤色の絵具を塗り、金が押されていたことがわかりました。復元には、素材の一部のみ改変するだけではなく、織りに必要な素材や機など総合的に見て進めていかなければならないことを痛感しました。金糸については、金の光や古色をどうコントロールするかという問題など、試行錯誤を繰り返しております。その後については、また別の機会にお話ししたいと思います。

(第2回に続く)

(1)金襴は金糸を押さえるための搦み糸が重要です。金襴には主に地搦みと別搦みがあります。繻子地の金襴で飛び文様の角龍や鶏頭などの文様は地搦みで、金糸は裏面に出て金糸が浮いて出ています。別搦みは主に牡丹唐草文のような明代の裂地に多く、金糸部分が搦み糸で織り込まれ地の部分とは別になり、二重の別の織組織となります。このことにより地の部分は袋状になり浮いた形となります。

(2)東山御物の装丁に代表される総金襴の表装のうち、特に紫地のものなどに、地の部分の糸が劣化して失われ、下の金糸部分が出ているものが多く見られます。

(3)砂子箔については別の回にお話します。