文化財の保存/修復 絵画・書跡分野における国宝・重要文化財等の保存修理(京都市)
株式会社岡墨光堂
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2022年1月号:第13回 瑞巌寺の復元模写事業とその時代

岡 興造(談)

○現状模写から復元模写へ

紙の分析と関連して、もうひとつお話したいことがあります。模写をする料紙の復元を試みた、瑞巌寺(宮城県宮城郡松島町)の障壁画復元事業です。

前回少し触れたように、従来の模写は、紙や絹、板といった基底材にかかわらず、薄い美濃紙に文化財の現状をそのまま写しとる「現状模写」という方式が主流でした。現状模写の場合は、欠失部分の穴も絵具の剥落もその通りに描きます。模写の目的は現状を正確に記録することです。現在であれば、記録を目的とするならば写真を撮りデジタルデータを保存すればよいと思われるかもしれません。しかし、昭和50年代までのカラー写真に、そこまでの再現度や耐久性はありませんでした。

昭和60年(1985)、瑞巌寺の障壁画修理事業が始まる頃には技術や考え方が進み、オリジナルの襖絵は修理をして保存し、写真複製による襖絵を代わりに嵌め込む例も見られるようになっていました。実際、瑞巌寺の障壁画についても、写真による複製と人の手による模写の双方が検討されました。写真は、記録という点ではよいですが、復元模写をすれば材料や技法の研究開発につながります。協議の結果、写真複製ではなく模写を行うこと、それも現状模写ではなく復元模写を行うことが決定され、模写は林功さんたちが、材料の準備と仕立てを私たちの工房が担当することとなりました。昭和60年度から10年間、211面の障壁画群の保存修理と模写事業という大事業です。このとき、重要文化財である障壁画の保存修理には国庫からの補助がありましたが、模写事業には補助金がありませんでした。このような大規模な復元模写事業が実現したのは、瑞巌寺様の多大なるご協力とご理解があってのことでした。関東以北に遺された近世の金碧障壁画の例は極めて稀で、その点でも大変貴重な機会となりました。

○料紙から復元する

復元模写という方針が決まると、林功さんとの間で、同じ復元をするのであれば、絵画表現の復元をするだけではなく、材料から復元したい、基底材も顔料も復元したいという話をするようになりました。このとき、紙から復元したいという気持ちが生まれたのは、前回お話したように、昭和末期以降の分析によって、紙の材料や加工にも特性があることがはっきりしていたからです。国宝《伝源頼朝像》(神護寺所蔵)の模写の際におこなった画絹の復元のように、絹の場合、そもそも材料として適当な代わりのものがないため、特別に作ろうという発想になりやすいと思います。絹に比べれば紙は一般的で、流通しているものもあります。原料や加工の違いや意味を考えなければ、概観の類似したものを選択することが自然で、特別に復元しようと思いにくい材料でした。本紙を分析する経験がある程度蓄積されていたからこそ、同素材での復元をしたいという議論が生まれたと思います。瑞巌寺の場合には、このような経緯で、林功さんたちと一緒に、紙の復元から始めることになったのです。

瑞巌寺の障壁画は大変上質な雁皮紙に描かれています。紙の寸法を決めて、高知で枠や竹簀を専用に作ってもらい、日本製の雁皮を使用して紙を漉いてもらいました。紙以外の材料についても、例えば金箔は今の規格より大きなサイズで厚みのあるものが使われているので、その寸法や厚みのものを作ってもらいましたし、絵具についても、当時の原料は中国のものだろうということで、中国へ行って材料探しをしました。絵具の分析については、それまでに東京芸術大学の小口八郎先生が研究を進めておられ、墨についての研究成果も発表されていました。林さんにとっても私にとっても、分析しては考えて作っていく作業はとても充実していました。模写完成後は、本堂に復元された金碧障壁画が入れられ、当初の華やかな空間が再現されました。

○復元模写の意義

模写は、絵画制作をする上で伝統技法を会得するための勉強方法のひとつです。現状模写には現状、今の状態をそのまま記録するという大きな意味があります。しかし、記録の内容は時代によって変化しています。模写をする意味もまた時代によって変化し、復元模写では、写真のような記録だけではなく、絵画技法を含めて材料も技術も残すという意義をもっています。瑞巌寺の障壁画群は、大規模な復元模写事業として行われた初めての例です。復元模写事業が完了した直後は、写真のような記録の方がよいと言われたり、写真を印刷して入れ替えたらどうかという声があったり、美術史家などから技術が違うというクレームが来たりもしました。しかし、日本の絵画における伝統技法が変化し、伝統材料や伝統材料を作る技術が失われつつあった当時、復元をするのであれば今でなければという判断があり、この事業が行われました。これは大変大きな出来事でした。

現在では、科学的な研究成果を踏まえた、同技法・同素材による復元模写が主流になっています。この方法の提唱者である林功さんによって設立されたグループである六法美術により、国宝《源氏物語絵巻》(徳川美術館所蔵)や、国宝《両界曼荼羅図》(子島寺所蔵)、国宝《信貴山縁起》(朝護孫子寺所蔵)などの復元模写が行われています。絵画の基底材について、絹であれば糸の太さや織の方法など、紙であれば繊維、漉き方、漉くための道具の復元、紙加工までも研究されて、当時の制作の実相を再現する奮闘が続けられています。実際に、復元事業によって解明された絵画技法の例もあり、研究は実を結んでいます。このような試みが、多くの理解者のもとで今後も継続してほしいと強く願っております。

○林功さんのこと

林功さんとのことをもう少しお話しておきたいと思います。彼は、日本の模写事業に大きな足跡を残した功労者で、私にとっては無二の理解者であり親友でした。5歳年下の林功さんと知りあったのは、彼が東京芸術大学の大学院生の頃でした。東京芸術大学は奈良に研修センターがあり、はじめは奈良や京都に研修で訪れたときに他の学生と一緒に私たちの工房に来てくれていました。ところが林さんは、みんなが帰っても帰らずに絵を見続け、そのうちみんなが来ない時にも通ってくるようになりました。それまで、それほど長時間、一生懸命絵を見るのは美術史の研究者が多く、彼のような人との出会いは新鮮でした。そこから、長いお付き合いが始まったのです。

当時、東京芸術大学には保存修復技術研究室と保存科学研究室がありました。大学院生のときの林さんは吉田善彦先生のもとで保存修復技術を専攻しており、修了後は保存科学研究室の助手をされていました。そのような経歴のなかで、材料に対する林さんの興味が広がっていったようです。当時の日本画は麻紙に描くことが主流でしたが、伝統的な紙や絹、古典技法を扱う私たちの仕事にも大きな関心をもってくれていました。

昭和48年(1973)、林さんは吉田先生のもとで、文化庁の事業である国宝《天台高僧像》(一乗寺所蔵)の模写に携わります。国宝《天台高僧像》は絹に描かれた作品ですが、先程お話したように、このときは紙に現状を模写する方法です。なぜ絹の絵を絹に描かず紙に描くのかという疑問が林さんにはありましたが、一般に流通している機械織の絵絹を使用するのが適切なのかという問題もありました。ちょうどその頃、私たちが昭和40年代に開発に取り組んできた電子線劣化絹が、重要文化財の保存修理にも用いられるようになっていました(web修復2021年1月号)。そして、昭和51年(1976)、同じく文化庁事業である国宝《釈迦金棺出現図》(京都国立博物館所蔵)の模写の際には、織組織を復元した絵絹を用いた現状模写を行うことになったのです。林さんたちが模写を担当し、私たちの工房が仕立てを担当しました。その前に行われた国宝《伝源頼朝像》(神護寺所蔵)の模写事業については、先にお話した通りです(web修復2021年4月号)。このように、基底材が何であろうと紙へ現状を模写する時代から、復元した材料への現状模写へ、そして復元した材料への復元模写へと展開がありました。そのときどきに、材料や技法についていろいろと話し合い、試行錯誤を重ねることが、お互いに気付きや理解を深めることにつながっていました。

林さんと私は、年に2、3回、約20年間一緒に旅をしてはいろいろなものを見てきました。平成12年(2000)年11月、林さんは、中国西安で模写の事業に参加し石窟で壁画の模写をしていたとき交通事故で亡くなりました。一報を受けたときには、悲しいという言葉で表せるものではありませんでした。今でも自分の一部がそこで失われたままであるような感覚があります。

○異なる専門の友人たちと

瑞巌寺の事業だけではなく、私は友人に支えられていろいろなことができたのだとつくづく思います。林功さんとも共通の知りあいであった澤田正昭さんは、考古遺物の保存の専門家です。澤田さんとの関係で文化財修理に用いるようになった技術には、金襴に使われる金糸表面の輝きを落ち着かせるサンドブラストの技法や、泥や水を被った被災文化財に対する真空凍結乾燥処置があります。

掛軸の修理にあたって表装裂地を交換する必要がある場合、新しい金襴を使用すると、年月を経た本紙に対してどうしても金糸が光過ぎてしまいます。古くは光を抑えるために金糸の上にニスを塗り、色をつける方法が主にとられてきました。しかし、これでは金糸の厚みがなくなり、何か弱々しく仕上がってしまいます。古金襴を見ると、金が落ちていても金糸自体のボリュームは保たれています。どうすれば古金襴を使用したもののように本紙にマッチするか、長年、大きな宿題として頭にあり続けました。昭和50年代には、歯ブラシと角粉(漆芸用のもの)を使って金糸の表面を意図的に荒らし、古色を少しかけてなじませて、全体の調子を整える方法をとりました。その後、効率的に金糸の表面の光沢を抑える方法として出てきたのが、研磨材をコンプレッサーで吹きつけ金属表面に微細な凹凸をつける「サンドブラスト法」です。古代遺物の金工品の修復にこの方法が使われているのを澤田さんのいらした奈良文化財研究所で見たこと、元興寺文化財研究所の増澤文武さんなどの方々から助言していただいたことが、金襴への応用につながりました。

もうひとつ、真空凍結乾燥処置は、元々発掘された木簡に用いられていた方法でした。地中から出土した木簡は、水分を多く含んだ状態です。このまま乾燥させると、水分が抜けて木の状態が変化してしまいます。そこで、一旦凍結して真空の状態で水分を抜き、抜けたところに樹脂を補填して形態を保つ方法が用いられています。私たちの工房では、この木簡への保存処置方法を応用し、平成6年(1994)から6カ年事業として、真空凍結乾燥処置を受けた文化財の修理を経験しました。平成5年(1993)に山口県防府市で集中豪雨があった際に被災した山口県指定文化財《版本大般若経》(阿弥陀寺所蔵)がその対象です。この修理については『修復』第4号(株式会社岡墨光堂、1998年)で報告し、橿原考古学研究所の今津節生先生(当時、現・奈良大学文学部長/大学院文学研究科長/教授)にご寄稿いただいています。当時は、異例の被害を受けた大量の経巻の修理の経過と修理中に得られた知見の報告が、今後もいつ起こるともしれない災害への備えになるという認識で報告しました。このときの経験やデータは、平成23年(2011)の東日本大震災で多くの文化財を救うことにつながりました。

澤田さんも林さんも専門は異なりますが、いろいろなものに興味をもって現場でものを見たいという部分でよく話し合いをしました。私が工房の代表として新しい技術の開発に取り組むことができたのは、彼らとのネットワークがあってこそだと思っています。

(第14回に続く)

1 国宝《信貴山縁起》の復元模写事業では、六法美術の富澤千砂子氏を中心に、打紙や表面加工など料紙の再現について、繰り返し検証が行われた。その結果、信貴山縁起絵巻に見られる、一本の墨線が濃淡を含むような描線が、復元された料紙の上ではワンストロークで再現されることがわかり、このような表現効果は紙加工に支えられていたことが明らかになった。本事業について詳しくは、朝賀浩氏による論考(「国宝「信貴山縁起絵巻」の復元模写」『特別展 国宝 信貴山縁起絵巻―朝護孫子寺と毘沙門天王信仰の至宝―』奈良国立博物館、2016年)を参照されたい。